ホスピタリティ・マネジメント hospitality manegement
山本哲士の解説
ホスピタリティ・マネジメント
ホスピタリティをビジネスにおいて実際に活用すること、それがゆるやかな意味でのホスピタリティ・マネジメントであるが、その際に何がなされているのか定義しておくと
「ホスピタリティ・マネジメントとは、
自己技術と環境技術とを生産技術において多元均衡的に遂行することによって、分配領域までふくんだ行程における諸利益の構成と産出をなすことである。」
となろう。
自己技術とは身体性にあるものであり、環境技術とはそれをとりかこむ環界にあるものであり、それを規定条件=可能条件において構成し、実際に動かして、生産することをそこに働かせることだ。そして、それを顧客=生活者にまでとどけるという分配領域を射程にいれ、経済利益だけでなく社会利益、環境利益、文化利益など諸々の利益を構成して機能しうるように産出=創出することである。
これが、商品・サービス生産の仕方においては、ただ生産物を生産し、経済利益を上げることが目的化される一直線的な単純行程へと物象化されている。実際は、そういうことは現実において存在していないのに、あるかのように思いこまれている。複線行程となっていることが、見えなくなっているといえよう。この一直線に諸要素を従属させるだけになっているため、そうなるような管理が不可避に複雑化していき、ビジネスではないものがうごめいている。
自己技術とは、自分の自分に対する関係である。
環境技術とは、自分たちの身の周りの場所環境を創造・調整することである。
生産技術とは、生産物と生産工程とをあるスケール決定において構成することである。質と量との決定にかかわる。
技術とは、ある物事が具体の姿において出現することをなすこと自体をいう。科学技術はそのツールであるにすぎないが、科学技術・情報技術が働かないかぎり、物事はなされない。これらの技術の根本に存在しているものが「文化技術」である。文化技術の存在なくして、一切はなされえない。
分配領域とは、流通・販売・消費の世界をふくんだもので、物が顧客の手に渡るまでの界である。これが、最前線となる。生産は後方陣地である。
ホスピタリティ・マネジメントとは、総合的な技術=テクノロジーである。(テクニックではない。)経済技術学である。
これが、商品・サービス経済では、自己技術は労働技術へ押し込められ、環境技術は倫理的なアリバイへと矮小化され、生産技術はただより多く売れればいいと市場放置されている。分配は、物流の販売効率化となり、顧客の存在は無視される。そして、科学技術が目的化され、文化技術は無視され、物質文化は考慮されない。情報技術はたんなるデータ管理技術となり、顧客管理・従業員管理に規則化されている。
生産が最前線だと誤認されたまま、マネージメントは生産管理をうまくやっていく組織管理にしかなっていない。
これらを遂行、実施する能力がいる。
ホスピタリティ・マネジメント能力は、五つの力能を要する。
●プロデューシング力能
●マネジメント力能
●アドミニストレーション力能
●エディティング力能
●クリエーション力能
である。この、どれひとつ欠けてはならない。文化資本力能である。
ホスピタリティ・マネジメントは、したがって、資本生産・資本形成を実行し、それをもって商品生産を可能としていくことである。資本生産と商品生産とのバランスを計れること、それを実行するマネーと人を動かすことである。資本を商品へ移動させることといえる。
これが、商品・サービス経済では、経済資本=資金に依拠して、ただ量産商品を生産し売ることで利益を上げること、そこへ人を従属させることにしかなっていない。
ホスピタリティ・マネジメントは、商品・サービスマネジメントとは、まったく異質な高度なマネジメントである。
要するに、現行においては、利益とは何であり、生産とは何であり、商品とは何であり、それを売るとは何であり、技術とは何であり、それらをなしている企業とは何であり、つまるところビジネスとは何であるのかがまったく見失われているのだ。
顧客とは、匿名のニーズへと抽象化され顔が見えず、社員は匿名の分業労働する従業員として顔が見失われ、生身の人は面倒臭い煩雑物とされている。そして、企業社会が社会そのものとなって、企業外部の環境を一般的に抽象化してみることしかしていない。生産利潤があがれば安泰だと思いこまれている。企業不祥事は不可避に生まれてくる。すると、不祥事を起こさないための管理運営がマネジメントだと転倒している。
ホスピタリティ・マネジメントは、いたずらな倫理・道徳によって、ビジネスの本質を見逃してごまかしていくことではなく、社員。顧客、そして社会にたいして、つまるとこと人にたいして健全でまっとうなことをして、世に役立つ利益をあげていくことである。当たり前のことを当たり前にしていく、それは容易ではない高度な技術であるが、なされていくべきことである。
それには、既存の企業の組織技術、構成員の思考技術を変えていくほかない。それをなしえなければ、ただ滅びていくだけなのは確かであるところまで、時代と世界は来ている。